「名もなき民衆の物語」としての、オペラ『おぐりとてるて』
このオペラを書くときに、
もちろん、たくさん、資料にあたりました。
それで、「なんでこの話で、聞き手である民衆が、
涙を流したり、爆笑したりしたのか?」っていうのが、
一番の疑問でした。たくさんの時間をかけて、
紡いだ私の結論は、説経節『小栗判官照手姫』を
「名もなき民衆たちの物語」として立ち上げるコトで、
「現代を、今まさに生きる、観客の皆様に、
観て頂ける、響く、作品になるのではないか」という”気づき”が、
オペラ化するときの「とっかかり」になっていました。
そして、今、まさに、このオペラは、
もう、私の手を離れて、
(私は、一観客として思うのです)
なぜか、泣ける。なぜか、爆笑する。
そこまで、深みをました感があります。
最初「中世日本の語り物」は、私には難解でした。
しかし、オペラシアターこんにゃく座が、
上演するにあたり、数々の工夫をおこない、
「説経節 小栗判官照手姫」とは、
ああ、やはり長い時間をかけて、なお愛され続けた作品なのだなと、
理解するコトが出来ました。
私が、自分の、台本・演出である作品にもかかわらず、
恥ずかしげもなく「素敵な作品だ」と言い切っているのは、
そんな日本の語り物のルーツの一つとも言える、
説経節『小栗判官照手姫』の強度と、
萩京子さんの作曲の素晴らしさ、
うた役者一人一人の惜しみない魅力、
スタッフワークのみごとさ、
そして、演奏家の皆さんの惚れ惚れするほどの音色の深さ。
そんな奇跡のような”組み合わせの妙”が、
私の演出作品というより、オペラシアターこんにゃく座の作品として
素晴らしいと、若干、まるで、他人事(つまり客観的に)
思っているからです。
とはいえ、観て頂ける方々に届いて
はじめて作品は完成します。
一般公演はしばらくありません。
みどりアートパークは、横浜市ですし、
東京の方からも全然遠くない場所です。
ぜひこの機会に、オペラ『おぐりとてるて』の世界に
触れてみてください。絶対に後悔させない、自信があります!!
もう、今週末ではありますが、
横浜市みどりアートパークに足をお運び頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします♪♪
みどりアートパーク
オペラ『おぐりとてるて』


もちろん、たくさん、資料にあたりました。
それで、「なんでこの話で、聞き手である民衆が、
涙を流したり、爆笑したりしたのか?」っていうのが、
一番の疑問でした。たくさんの時間をかけて、
紡いだ私の結論は、説経節『小栗判官照手姫』を
「名もなき民衆たちの物語」として立ち上げるコトで、
「現代を、今まさに生きる、観客の皆様に、
観て頂ける、響く、作品になるのではないか」という”気づき”が、
オペラ化するときの「とっかかり」になっていました。
そして、今、まさに、このオペラは、
もう、私の手を離れて、
(私は、一観客として思うのです)
なぜか、泣ける。なぜか、爆笑する。
そこまで、深みをました感があります。
最初「中世日本の語り物」は、私には難解でした。
しかし、オペラシアターこんにゃく座が、
上演するにあたり、数々の工夫をおこない、
「説経節 小栗判官照手姫」とは、
ああ、やはり長い時間をかけて、なお愛され続けた作品なのだなと、
理解するコトが出来ました。
私が、自分の、台本・演出である作品にもかかわらず、
恥ずかしげもなく「素敵な作品だ」と言い切っているのは、
そんな日本の語り物のルーツの一つとも言える、
説経節『小栗判官照手姫』の強度と、
萩京子さんの作曲の素晴らしさ、
うた役者一人一人の惜しみない魅力、
スタッフワークのみごとさ、
そして、演奏家の皆さんの惚れ惚れするほどの音色の深さ。
そんな奇跡のような”組み合わせの妙”が、
私の演出作品というより、オペラシアターこんにゃく座の作品として
素晴らしいと、若干、まるで、他人事(つまり客観的に)
思っているからです。
とはいえ、観て頂ける方々に届いて
はじめて作品は完成します。
一般公演はしばらくありません。
みどりアートパークは、横浜市ですし、
東京の方からも全然遠くない場所です。
ぜひこの機会に、オペラ『おぐりとてるて』の世界に
触れてみてください。絶対に後悔させない、自信があります!!
もう、今週末ではありますが、
横浜市みどりアートパークに足をお運び頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします♪♪
みどりアートパーク
オペラ『おぐりとてるて』


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